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水素技術 はじめて物語
 1958年、大阪水素工業(現 岩谷瓦斯)が、水素ガス製造の専業メーカーとして設立されたのが初めてなら、オフガスからの水素の販売もイワタニが初めてでした。以来今日まで、「わが国初」を積み重ねてきたのがイワタニの水素事業だということができます。

水素時代の幕開け
長尺トレーラー 最初の尼崎水素工場ができた1959年、「水素時代が来る」と察知したイワタニの創業者社長の岩谷直治(故人、2005没)は、早々と部下に大量供給方法を模索させ、アメリカの文献にあった
1,110Sm3 の長尺トレーラーの国産化を計画。運輸省に相談すると「衝突した場合に容器が散らばらないよう枠組みを作れ」とのこと。そこでトレーラーを三菱扶桑、長尺容器を住友金属、荷台の枠組みを汽車製造に依頼し、1960年春長尺トレーラー国産1号車を完成させました。その後、日本で初めて200kg/cm3 充填を行うと同時に2,000Sm3 入りトレーラーなどを開発し、運賃コストの低減や多量供給を実現させてきました。
 1975年にミニプラントながら水素液化装置(10l/h)を大阪水素の尼崎工場内に作りましたが、これがわが国の液化水素時代の幕開けとなりました。宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構)ができ、日本で液化水素を使った大型のロケット開発が始まり、その実験のために液化水素を納入しました。3年後の1978年、「どこかがやらねばならないことだ」と岩谷直治が断を下し、商業用の本格的液化水素製造プラント(730l/h)を完成させました。導入した仏製高速タービンはトラブル続きで、担当の技術者が渡仏を繰り返し、何度も肝を冷やしながら完成させたといいます。1986年、わが国最初の液化水素を燃料としたH-Iロケットの打上げは大成功で、尼崎から燃料の液化水素を供給したイワタニグループは日本で唯一の液化水素メーカーとして、歴史に刻まれたのです。以来今日まで、H型ロケットの開発、改良および打ち上げに対して、イワタニグループは液化水素を供給し続けています。
次々と「わが国初」が誕生。燃料電池車普及のための各種サポートも
 1991年には、スラッシュ(雪融け状)水素の製造実験に、わが国で初めて成功しました。-252.8℃の液化水素を、さらに-259.3℃まで冷却すると固化し始め、半分を固体、半分を液体にして温度を均一化すると、どろどろの固液共存状態になります。これがスラッシュ水素で、液化水素より冷却能力が大きく、高密度で体積が15%小さく、しかも流動性があるため、機体の小型・軽量化、機体外表面の冷却など高度な特性が要求される水平離着陸型宇宙往還スペースプレーン用燃料として最適だと期待されています。
有明ステーション いま最も注目されているものの一つが燃料電池車です。その普及にはインフラや法規制、燃料となる水素の製造や供給方法など多方面にわたる整備が必要です。2002年2月、4社共同で日本初の本格的「水素供給ステーション」を大阪・酉島に完成させましたが、これは、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)より受託の天然ガス改質型で、イワタニが全体のシステムエンジニアリングと機器のとりまとめを行ったものです。同年7月には横浜に、首都圏初の「鶴見水素ステーション」を同じNEDOからの受託で完成させました(後にJHFCプロジェクトに繰入。現在は運用終了)。副生水素の利用で、公道に面した立地で、共に日本初でした。さらに2003年には東京都内に、初めて液化水素も供給可能な「有明水素ステーション」を完成させています。
 一方、燃料電池車の公道走行実験や試乗会をサポートするため、国内初の「移動式水素ステーション」を2002年に開発、2005年には、関西電力と共同で圧縮水素の3~4倍運べる液化水素方式の「移動式水素ステーション」も初めて開発しています。2003年には民間企業では世界で初めて燃料電池車2台を購入し、2006年には水素ロータリーエンジン車も購入、全国各地に派遣しての走行試乗会でPRに努めています。そのための専用キャリアカー(燃料電池車と移動式水素ステーションを同時に積載)も開発するなど、わが国初の枚挙にいとまがありません。
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